日本プロ野球史

■ 3月1日〜10日

3月1日

1939年(昭和14年)

「日本職業野球連盟」を「日本野球連盟」と改称。11シーズン制を採用。ただし試合

方法は便宜上、春、夏、秋の3季に分け、各季ごとの勝率1位チームを表彰、最後に3季通

算の勝率1位チームを「年度優勝チーム」とする。

 

1942(昭和17)

後楽園球場で行われた巨人-大洋定期戦で試合前のアトラクションで手榴弾投げを行う。

 

1955(昭和30)

ウエスタン・リーグ結成。

 

1963(昭和38)

新入団選手に第1回研修講座。

 

1976(昭和51)

後楽園スタジアム、人工芝敷設。

 

1995(平成7)

実行委員会の原野和夫パ・リーグ会長は12球団の総意を受け、吉國一郎コミッショナー

に留任を要請し承諾を得る。吉國コミッショナーは3期目(任期3)に入るが、歴代コミ

 

ッショナーで3期務めるのは初。

3月2日

1935(平成10)

巨人軍はフランク・オドゥール氏の提唱で、ニックネームをジャイアンツと命名した。

 

1943(昭和18年)

選手は戦闘帽をつけ、挙手の礼を励行。野球用語の日本語化が決まる。【例】セーフ

→「よし」、アウト→「だめ」、ストライク・ワン→「よし一本」。

 

1971(昭和46)

 

巨人、米国フロリダ州ベロビーチでのキャンプへ。

3月3日

1977(昭和52)

プロ野球実行委員会で、高卒の社会人選手は3年間プロ入りさせないことを決

定した。

 

1996(平成8)

日米審判交流として、セ、パの4審判がフロリダ州の大リーグオープン戦に

参加。16日からは大リーグ4審判も日本のオープン戦に参加する。

 

1998(平成10)

実行委員会は任期満了で6日に退任する吉國一郎コミッショナーの後任に、川

島廣守セ・リーグ会長を選任。

 

1999(平成11)

セ・リーグ理事会が行われ、スパイ行為防止を申し合わせる。これにより試合

 

中にベンチ入りメンバーとそれ以外の関係者の接触が禁止される。

3月4日

2004年(平成16年)

 

アテネ五輪の日本代表チームの監督に指名されている長嶋茂雄氏が緊急入院。

3月5日

1940(昭和15)

それまで公式記録員と各監督が選んでいた最高殊勲選手を運動記者協会から選ぶことと

する。

 

1941(昭和16)

連盟会長に森岡二朗、事務長に河野安通志の両氏が就任。

 

1947(昭和22)

近畿グレートリング」が「南海ホークス」に。

 

1999(平成11)

近鉄は球団名を41日から「大阪近鉄バファローズ」に変更すると発表。

 

2001(平成13)

新人選手講習会が横浜のホテルで開かれ、87選手が受講する。

 

2002(平成14)

実行委員会で、両リーグで異なっていたルール、タイトルの一部を統一することを決

める。危険球は「頭部にあたった上、審判員が危険と判断したとき」に適用。バッテリ

ーの打ち合せ回数は1試合3度まで、パ・リーグの勝率1位賞が最優秀投手賞に名称を変

更、パの最多ホールド賞の名称をセと同様に最優秀中継ぎ投手とする。

 

2003(平成15)

審判員の組合である「連帯労組・プロ野球審判支部」が年俸増などを求め両リーグと

 

団交。「開幕からのストも視野に行動する」と申し入れるが、その後回避される。

3月6日

1958(昭和33)

新人選手の契約金高騰で赤嶺昌志氏らが衆議院文教委員会の公聴会に呼び出される。

 

1998(平成10)

 

新人研修会を福岡で行う。79人が受講。

3月7日

1989(平成元年)

元法制局長官・吉國一郎氏が第9代コミッショナーに就任。

 

1992(平成4)

43年ぶりにプロとアマの交歓試合。

 

2000(平成12)

 

戦前から戦後にかけ、優勝11回の鶴岡一人南海監督が死去。10日に葬儀が執り行われた。

3月8日

1950(昭和25)

日本ワールドシリーズの名称で、セ・パ両リーグの覇者が対決することが決定した。

 

1991(平成3)

 

調停委が中日・落合博満選手の年俸を球団提示額の22000万円とする。

3月9日

1995(平成7)

オリックスは広島とのオープン戦で得点を与えず、5日以来4試合連続完封を飾った

3月10日

1947(昭和22)

「太平パシフィック」が「太陽ロビンス」に。

 

1950(昭和25)

下関と福岡の平和台の両野球場で、セ・リーグ8球団で2リーグ分立1年目のシーズンが開

幕した。

 

1952(昭和27)

  広島・長谷川良平投手が自由契約を主張したが、コミッショナーは自由契約選手を否認。

参考資料:「日本プロ野球60年史」「ダイアリー日本プロ野球史」(2005年版)

   <(株)ベースボール・マガジン社 発行>