日本プロ野球史

■ 1月11日〜20日

1月11日

1954(昭和29)

セ・リーグ理事会は、各球団の二軍によって新日本リーグを結成することを決定した。

1月12日

1954(昭和29)

広島カープ、マニラへ遠征。

 

1957(昭和32)

史上初の300勝投手のスタルヒン投手が自動車事故で急死。20日にプロ野球葬が行われた。

 

1998(平成10)

全日本アマチュア野球連盟は、2000年のシドニー五輪の日本代表について、アマ主体で

編成し、プロから数選手を補強する方針を決める。128日にアマ側は協力を申し入れ、

プロ側も了承。

1月13日

1941年(昭和16年)

翼軍と金鯱軍が合併、「大洋軍」となり8球団に。「大洋軍」の総監督・石本秀一氏、

監督・苅田久徳氏となる。

 

1965(昭和40)

新入団選手採用制度審議会発足。

 

1983(昭和58)

パ・リーグ理事会で、今季新方式のプレーオフ付き1シーズン制の実施を決定した。

 

1996(平成8)

プロ、アマ合同の指導者講習会が兵庫県立総合体育館で15日まで行われた。95年末の横

浜での講習会に続くもので、260人が参加。

 

1997(平成9)

ロッテは伊良部秀輝投手を移籍させるため、パドレスに独占交渉権を与えると発表。

 

1999(平成11)

川島廣守コミッショナー、原野和夫パ、高原須美子セ両会長の三者会談で、スパイ行為

防止策が承認される。これにより試合開始から終了まで、スコアラーなどによる外部か

らの情報伝達が全面的に禁止される。

1月14日

1935(昭和10)

大日本東京野球倶楽部(巨人)は、静岡・草薙球場で第1回米国遠征に備え、練習を開始

した。

 

1954(昭和29)

名古屋ドラゴンズが「中日ドラゴンズ」と改称。

 

1958(昭和33)

森茂雄早大監督が大洋球団社長に就任。

1月15日

1936年(昭和11年)

「大日本野球連盟名古屋協会・名古屋軍」創立。巨人の二出川延明、江口行雄両選手の

金鯱軍への移籍が決定した。これがプロ野球史上初のトレード。

 

1964(昭和39)

大毎オリオンズが「東京オリオンズ」と改称。

 

1998(平成10)

FA宣言した前ヤクルトの吉井理人投手がメッツと契約。FAからの大リーグ入りは初

めて(現地時間14)

 

2003(平成15)

巨人をFAになった松井秀喜選手のヤンキース入りが決定。ニューヨークで約300人のメ

ディア関係者を集め入団記者会見(現地時間14)

1月16日

1956(昭和31)

2代目コミッショナーに元最高裁判事・井上登氏が就任。

 

1972(昭和47)

ロッテの浜浦徹選手とサンフランシスコ・ジャイアンツのF・ジョンソンの、日米間で初

のトレードが成立した。

1月17日

1936年(昭和11年)

「東京野球協会・セネタース」創立。

 

1941年(昭和16年)

ライオンが「朝日軍」に。

 

1958(昭和33)

横沢三郎氏、パ・リーグの審判部長に。

 

1995(平成7)

未明に兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生。在阪球団の施設も多くの被害を受ける。

1月18日

1937年(昭和12年)

後楽園野球倶楽部「イーグルス・チーム」創立総会。

 

1944年(昭和19年)

選手は軍需工場で「産業戦士」として働くことを決める。巨人選手は東京芝浦電気府中

車輌工場勤務。

 

1969(昭和44)

東京オリオンズと株式会社ロッテが業務提携し、名称が「ロッテオリオンズ」となる。

1月19日

1970(昭和45)

コミッショナー委員会は監督、コーチのユニフォームでの自主トレ参加を禁止した。

 

1999(平成11)

パ・リーグ理事・監督合同会議が行われ、コミッショナー通達以上に厳しい「監督宣

言」が採択される。これにより二塁走者やコーチスボックスからのサイン解読や打者へ

の伝達も禁止され違反者は退場処分。

1月20日

1946(昭和21)

東京・赤坂の田村駒次郎氏邸で関東、関西合同の代表者会議、プロ野球再開につき日

程、審判、記録問題などを話し合う。

 

1954(昭和29)

東急電鉄が球団を手放し東映の経営に代わって「東映フライヤーズ」が誕生した。

 

1975(昭和50)

パ・リーグが指名打者制を採用すると決定。

参考資料:「日本プロ野球60年史」「日本プロ野球70年史」「ダイアリー日本プロ野球史」(2005年版)

   <(株)ベースボール・マガジン社 発行>