日本プロ野球史

■ 10月21日〜31日

10月21日

1958年(昭和33年)

西鉄が巨人との日本シリーズ第7戦に勝ち、3連敗の窮地から逆転勝ち。史上初めての3

連敗4連勝で優勝。西鉄は、3年連続日本一。同日、川上哲治選手(巨人)が現役を引退。

 

1980年(昭和55)

巨人は長嶋茂雄監督の辞任と藤田元司氏の監督就任を発表。

 

1985年(昭和60年)

ロッテの落合博満選手が82年に次ぐ2度目の三冠王に。打率.367、本塁打52、打点146

 

1987年(昭和62年)

近鉄・新井宏昌選手がシーズン130試合制最多の184安打。

 

1988年(昭和63年)

阪急球団の「オリックス」への球団譲渡を実行委員会が承認。

 

1995年(平成7年)

日本シリーズ第1戦(GS神戸)が開幕。この年からすべてナイトゲームで挙行され、10

26日にヤクルトが41敗でオリックを下し、2年ぶり3度目の日本一。

10月22日

1938年(昭和13年)

  名古屋‐ライオン戦で、ライオン内野陣が球史初のトリプル・プレー。走者一、二塁から

  桝嘉一選手のセカンドライナーで。

 

1953年(昭和28年)

毎日新聞社が招待したロパット団長率いる全米オールスター・チーム来日。

 

1955年(昭和30年)

後楽園球場で昼は巨人-南海の日本シリーズ第5戦が行われ、夜はヤンキースと毎日の試

合が行われた。

 

1973年(昭和48年)

巨人、9年連続セ・リーグ優勝(66604分)。

 

1978年(昭和53)

日本シリーズ第7戦(後楽園)でヤクルトが阪急を破り、初の日本一を決定(43敗)。

大杉勝男選手の本塁打の判定を巡って、1時間19分の中断。

 

1984年(昭和59年)

日本シリーズで広島が阪急を破り日本一に(4勝3敗)。

 

1987年(昭和62年)

広島の衣笠祥雄選手は、通算2215試合出場を継続したまま、現役引退を表明した。

10月23日

1944年(昭和19年)

阪神、阪急、近畿日本、朝日、巨人、産業の全6球団のオーナー、代表が東京会館で会

議、「日本野球報国会」は残すが、機能は一時停止することを申し合わせる。

 

1945(昭和20年)

南海・小原社長、松浦代表、阪神・富樫代表、細野、石井両重役、阪急・村上代表、岩

倉重役、朝日・増田、田中両重役、藤本定義の各氏が集まり、戦前までの「野球報国

会」を「日本野球連盟」として再出発することを申し合わせた。

 

1958年(昭和33年)

セ・リーグ公式戦閉幕。西沢道夫選手(中日)、藤村登美男選手(大阪)、小鶴誠選

手(広島)も現役引退。

 

1988年(昭和63年)

阪急・松永浩美選手が10打席敬遠を含む11打席四球で首位打者はロッテ・高沢秀昭選

手に決定。同日、上田利治監督の阪急サヨナラ・デーのあいさつで福本豊選手の現役引

退が判明。

 

1999年(平成11年)

日本シリーズ第1戦が福岡ドームで開幕。28日にダイエーが41敗で中日を下し、南海時

代の64年以来35年ぶり日本一。

10月24日

1965年(昭和40年)

パ・リーグ日程終了。南海の野村克也選手が三冠王となる。打率.320、本塁打42、打点110

 

1985年(昭和60年)

阪神・バース選手が来日3シーズン目で初の三冠王に。打率.350、本塁打54、打点

134。阪神の21年ぶりの優勝に大きく貢献した。

 

1990年(平成2年)

日本シリーズは西武が巨人に4連勝。無傷優勝は2度目。

 

1996年(平成8年)

オリックスは第5戦(神戸)に5対2で勝ち4勝1敗で巨人を破り、阪急からオリックス

となって8年目で初の日本一。 

 

2003年(平成15年)

阪神は、連敗でスタートのダイエーとの日本シリーズに3連勝し逆王手。金本が3試合連

続本塁打。

10月25日

1950年(昭和25年)

毎日オリオンズが2リーグ制初のシーズンにおいて、パ・リーグの初代王者に(81勝34

敗5分)

 

1979年(昭和54)

ヤクルトは武上四郎コーチが、横浜大洋は土井淳コーチが新監督に就任。

 

1981年(昭和56年)

ともに本拠地を後楽園球場に置く巨人と日本ハムの日本シリーズで、巨人は8年ぶりの

優勝を決める(巨人4勝2敗)

 

1995年(平成7年)

実行委員会で、96年から外国人の出場登録は3人までだが、支配下選手は無制限とするの

を決める。

 

2004年(平成16年)

  16日に開始された日本シリーズは、西武は43敗で中日を下し、12年ぶりの日本一に輝

  いた。

10月26日

1946年(昭和21年)

阪急の野口二郎投手は、打撃でも快挙を成し遂げ、829日以来、31試合連続安打。この

記録は24年間破られなかった。

 

1954年(昭和29年)

セ・リーグ閉幕。中日が球団創設以来初の優勝

 

1998年(平成10年)

日本シリーズで横浜が西武を42敗で下し、前進の60年の大洋以来、38年ぶり2度目の日

本一に輝く。

 

2000年(平成12年)

3戦終了後に2日間の休みを取った後、45戦が行われたが、巨人が2対1、6対0で

連勝。巨人・長嶋茂雄、福岡ダイエー・王貞治両監督の「日本シリーズON対決」で注

目の選手権となった。

 

2002年(平成14年)

巨人-西武の日本シリーズ第1戦が東京ドームで開幕。1030日に巨人がシリーズ史上6

度目の40敗で日本一決定。巨人の原辰徳監督は史上6人目の新人監督日本一。

10月27日

1937年(昭和12年)

巨人-セネタース戦が初の提訴、無効試合に。

 

1954年(昭和29年)

大映、勝率3割5分を割り、罰金500万円を科せられる。

 

1962年(昭和37年)

皇太子殿下、同妃殿下が、東京スタジアムで行われたデトロイト・タイガースとの親善

試合をご観戦。

 

1972年(昭和47年)

西鉄球団、太平洋クラブに球団譲渡。

 

1986年(昭和61年)

日本シリーズは史上初の8試合。西武が4勝3敗1分けで広島に勝つ。

 

1988年(昭和63年)

日本シリーズは西武が4勝1敗で中日に勝ち3年連続5度目の日本一。森祇晶監督は就任

1年目で日本一に。秋山幸二選手が6回に同点本塁打を放ち、バック転でホームイン。

 

1989年(平成元年)

ロッテの新監督に金田正一元監督が復帰。

10月28日

1962(昭和37年)

内村祐之、フリック日米両コミッショナーが会合し、日米野球の選手交流について話し

合われた。

 

1959年(昭和34年)

日本シリーズ、巨人-南海4度目の顔合わせは、4戦ストレート勝ちで南海が初めて優勝。

 

1986年(昭和61年)

現役引退のロッテ・有藤道世選手が監督就任。同日、広島・山本浩二選手が現役を引退。

10月29日

1941年(昭和16年)

 

阪急・森弘太郎投手が対名古屋戦で連盟13度目のノーヒット・ノーランを記録。

 

1954年(昭和29年)

パ・リーグ閉幕。西鉄が初優勝。

 

1961年(昭和36年)

日本シリーズ第4戦(後楽園)で円城寺主審のジャッジをめぐり南海選手が大暴れ。

 

1981年(昭和56年)

西武は来季監督に広岡達郎氏の就任を発表。ロッテ・山内一弘監督辞任。

 

1983年(昭和58年)

巨人-西武の日本シリーズ開始。4勝3敗で西武が優勝し、連覇達成。

 

1986年(昭和61年)

中日・星野仙一監督誕生。

 

1989年(平成元年)

日本シリーズで巨人が近鉄に3連敗のあと4連勝して逆転優勝。

 

1994年(平成6年)

長嶋茂雄監督率いる巨人が森祇晶監督の西武を42敗で破り、巨人は5年ぶり18度目の日

本一に(長嶋監督としては初の日本一)

10月30日

1955年(昭和30年)

トンボ鉛筆の高橋球団への援助終わる。球団名は「トンボユニオンズ」から再び「高橋

ユニオンズ」に改称。

 

1982年(昭和57年)

日本シリーズで西武が中日を破り優勝(4勝2敗)。

 

1986年(昭和61年)

ヤクルトの監督に関根潤三氏が就任。

 

1997年(平成9年)

ヤクルトは8月5日の巨人戦(大阪ドーム)で、吉井理人投手がレーザー光線と思われ

る光線で妨害を受けた事件で、この日までに容疑者不定のまま威力妨害容疑で告訴。

 

2002年(平成14年)

巨人は日本シリーズで西武に4連勝し、日本一になる。巨人の無敗での4連勝は球団史上

初めて。

10月31日

1981年(昭和56年)

ロッテ・張本勲選手、現役引退を表明。

 

1995年(平成7年)

オリックスのイチロー選手が正力賞に選ばれる。2年連続での受賞は史上初。 

 

2000年(平成12年)

2001年シーズンからヘルメットとユニフォームに商標ロゴマークを付けることを承認。

 

2003年(平成15)

  アジア野球選手権大会が117日まで札幌ドームで行われる。日本は決勝リ

  ーグに30敗で、台湾とともに、04年のアテネ五輪への出場が決まる。

参考資料:「日本プロ野球60年史」「日本プロ野球70年史」「ダイアリー日本プロ野球史」(2005年版)

   <(株)ベースボール・マガジン社 発行>