日本プロ野球史
1957年(昭和32年)
西鉄、4勝1引き分けの無傷で日本シリーズ制覇。
1973年(昭和48年)
巨人4勝1敗で日本シリーズも9年連続優勝の偉業成る。
1992年(平成4年)
ダイエー新監督に、前西武球団管理部長の根本陸夫氏が就任。
1993年(平成5年)
日本シリーズ、ヤクルトが4勝3敗で15年ぶり、2度目の日本一。
2000年(平成12年)
オリックスはイチロー選手(鈴木一郎)を大リーグに移籍させるポスティング(入札)
にかける手続きを日米のコミッショナー事務局に申請する。
1972年(昭和47年)
村山実投手(阪神)、現役引退を表明。
1974年(昭和49年)
後楽園球場の巨人対メッツ戦の試合前、王貞治選手とハンク・アーロン選手のベーブ・
ルースを越えた本塁打王のホームラン競争。
1980年(昭和55年)
日本シリーズで近鉄を破った広島の連覇成る(4勝3敗)。
1985年(昭和60年)
日本シリーズ、21年ぶりにセ・リーグを制した阪神が、4勝2敗で西武を破り、球団史上
初の日本一に。
1995年(平成7年)
日本、韓国、台湾のプロ野球首脳が集まった「アジア野球懇談会」が東京で開催され
る。数年のうちにアジア選手権を開催する構想等を話し合う。
1939年(昭和14年)
巨人・中尾輝三投手がセネタース戦で10四球を与えながら史上4人目のノーヒット・ノー
ラン記録。
1995年(平成7年)
日韓親善野球が始まる。12日まで6試合が行われ、両国が2勝2敗2分で対戦成績を分けた。
1998年(平成10年)
日米選手契約協定の改定について、日米球界の代表者が東京で開かれる。新協定に合意
し12月15日に調印、発行。
1948年(昭和23年)
神宮球場で行われた巨人創立15周年記念試合が超満員で死傷者が出る。
1961年(昭和36年)
西鉄・川﨑徳次監督辞任、中西太がプレーイングマネージャーに。
1979年(昭和54年)
日本シリーズで近鉄を破った広島の優勝決定(4勝3敗)。9回裏の攻防は、広島・江夏豊
投手の「21球」として球史に残るドラマとして語られる。
1980年(昭和55年)
本塁打数世界一(868本)の巨人・王貞治選手、現役引退を発表。
1980年(昭和55年)
正力松太郎賞に日本シリーズで連覇した広島・古葉竹識監督が選ばれる。
1946年(昭和21年)
戦後1年目のペナントレース終幕。近畿グレートリングが65勝38敗2分で初優勝。セネタ
ースの大下弘選手が史上初の20ホーマーで本塁打王。
1948年(昭和23年)
大阪と大陽が西京高・北本重二投手と二重契約(結局、大陽入り)。
1965年(昭和40年)
10月30日開始の日本シリーズは、巨人4勝1敗で南海を破り優勝。
1969年(昭和44年)
野村克也選手(南海)、プレーイング・マネージャーに就任。
1975年(昭和50年)
日本ハム・大沢啓二監督が就任。
1945年(昭和20年)
「日本野球連盟」が復活宣言、巨人、名古屋、阪神、阪急、近畿日本、朝日の6球団代表
者会議を開き、新たにセネタースの加盟を承認。
1998年(平成10年)
15日まで日米野球が開催される。大リーグ選抜は巨人と1試合、全日本選抜と7試合の計8
試合を行い6勝2敗で帰国。
1999年(平成11年)
日韓スーパーゲーム開幕。10日まで4試合行ない、日本の2勝1敗1分け。
1939年(昭和14年)
巨人のV・スタルヒン投手が史上初の通算100勝に。年間最多の42勝。
1954年(昭和29年)
中日は西鉄との日本シリーズ第7戦に杉下茂投手が完封勝ちし、球団史上初の日本一を達
成した。同日、巨人、オーストラリア、マニラへ遠征(28日帰国)。
1966年(昭和41年)
第2回新人選手選択(ドラフト)会議開く。
1983年(昭和58年)
正力松太郎賞に西武の主砲・田淵幸一選手が選ばれる。
1942年(昭和17年)
秋季連盟戦終了。巨人が通算73勝27敗5分けで年度優勝。
1950年(昭和25年)
中日・西沢道夫選手がシーズン通算5本目の満塁ホームラン記録。
1977年(昭和52年)
正力松太郎賞選考委員会は第1回受賞者に王貞治選手を選出。
1980年(昭和55年)
中日・高木守道選手、現役引退。
1985年(昭和60年)
西武の広岡達朗監督が辞任。後任は森昌彦・元ヘッドコーチが就任。就任後、祇晶と
改名。
1987年(昭和62年)
後楽園球場が50年の歴史を閉じる。翌シーズンから隣接の東京ドームが巨人、日本ハム
の本拠地球場となる。
2004年(平成16年)
オリックス・バファローズと東北楽天が分配ドラフトを行い、オリックスに67選手、東
北楽天に40選手が入った。
1939年(昭和14年)
巨人は、スタルヒン投手が南海戦でサヨナラ安打を打って、年度優勝を決定
した
1947年(昭和22年)
皇太子殿下が後楽園球場での金星-東急戦をご観戦。大下弘選手を激励。
1977年(昭和52年)
大洋・中部オーナーは来シーズンよりチームの呼弥を「横浜大洋ホエールズ」とすると
言明。
1979年(昭和54年)
正力松太郎賞選考委員会は、近鉄の西本幸雄監督を選出した。
1949年(昭和24年)
巨人の川上哲治選手が南海戦で、プロ野球史上2人目の通算1000安打を達成(1人目は
金星・坪内道則選手)。
1950年(昭和25年)
松竹ロビンスがセ・リーグ初優勝(98勝35敗4分)。松竹・小鶴誠選手がシーズン51本塁
打の新記録。
2002年(平成14年)
日米野球開幕。大リーグ選抜チームが巨人と1試合、日本選抜チームと7試合の計8試合を
行い、5勝3敗で17日に全日程を完了。