日本プロ野球史

■ 11月11日〜20日

11月11日

1947年(昭和22年)

ペナントレース閉幕。

 

1992年(平成4年)

大洋ホエールズが横浜ベイスターズと球団名を変え、大洋の43年間に幕を下ろす。

11月12日

1943年(昭和18年)

14日まで後楽園球場で21日~23日まで甲子園球場で東西対抗戦。

 

1987年(昭和62年)

巨人・江川卓投手が現役引退表明。

 

1990年(平成2年)

西武の清原和博選手、史上最年少で「1億円プレイヤー」に。

 

2004年(平成16年)

通信大手ソフトバンクの孫正義社長がダイエー本社の蓮見敏男社長と会談し、球団買収

の意向を伝える。

11月13日

1944年(昭和19年)

「日本野球報国会」が「切迫する時局にかんがみ一時休止」を表明。

 

1951年(昭和26年)

全パシフィックが選抜チームを3-1で破り米チームから初の1勝。

11月14日

1936年(昭和11)

阪急のジミー堀尾選手が名古屋戦の567回に3イニング連続して三塁打を打つ好記録

をマク。

 

1968年(昭和43年)

水原茂氏が中日監督に就任。阪神監督に後藤次男コーチが昇格。

 

1969年(昭和44年)

阪神が村山実投手のプレーイング・マネージャーに就任を発表。

 

1977年(昭和52年) 

クラウンライター球団は、根本陸夫監督の就任を発表。

 

1985年(昭和60年)

1986年度よりパ・リーグのプレーオフ制廃止することを決定。2シーズン制(1982

まで)のあと、1983年から1、2位チームが5ゲーム差以内の場合にプレーオフを行う

としたが、実際には優勝チームの独走が続き、プレーオフは行われなかった。

 

1995年(平成7年)

東京6大学選抜対プロ野球6大学OB選抜の試合が神宮球場で挙行され、105でOBチー

ムが勝つ。東京6大学結成70周年を記念しての催し。

11月15日

1947年(昭和22年)

西宮、後楽園、鳴海、甲子園各球場で東西対抗試合を9試合行う。

 

1948年(昭和23年)

公式戦閉幕。南海が87494分けで優勝。

 

1950年(昭和25年)

両リーグ合同代表者会議。コミッショナー誕生までの暫定協約を決め両リーグにまたが

る移籍はコミッショナーが決まるまで認めないと確認。

 

1980年(昭和55年)

西武・野村克也選手、現役引退。

 

2004(平成16年)

実行委員会で、ダイエーが大手通信企業の「ソフトバンク」に球団を売却することが報

告される。

11月16日

1939年(昭和14年)

秋季リーグ戦終了。1位巨人、2183分。3季通算でも巨人は66264分、勝率.717

で年度優勝。

 

1959年(昭和34年)

大下弘選手(西鉄)、現役選手を引退。生涯打率33厘。

 

1962年(昭和37年)

1964年度から馬革ボールを使用すると発表。

 

1995年(平成7年)

パ・リーグ審判部は1996年からの審判4人制を了承。セ・リーグは1990年から4人制を施

行している。

11月17日

1938年(昭和13年)

秋季リーグ戦閉幕。巨人が309敗で優勝。巨人・中島治康が打率.361、本塁打10、打点

38で初の三冠王に(戦後、認定)。

 

1941年(昭和16年)

秋季連盟戦終了。1位巨人。年度優勝は通算62222分で巨人。

 

1943年(昭和18年)

秋季連盟戦終了。1位西鉄。年度優勝は巨人(54273分)。藤本英雄投手の防御率

0.73は新記録。

 

1965年(昭和40年)

南海新監督に13日就任したばかりの蔭山和夫氏が急性副皮質機能不全で急逝。享年38

歳。同日、プロ野球の新人契約金の高騰抑止と戦力均等化をねらった第1回新人選手選

択(ドラフト)会議が、東京・日比谷の日生会館で行われる。

 

1980年(昭和55年)

巨人・高田繫選手、現役引退。

11月18日

  

1960年(昭和35年)

毎日新聞社がプロ野球経営から手を引き、大海オリオンズの経営権一切を永田雅一氏が

引き継ぐ。

 

1974年(昭和49年)

パ・リーグオーナー懇談会は、1975年から2年間を試行期間とする指名打者制採用を決定。

11月19日

1949年(昭和24年)

東急・大下弘選手が対大陽戦で1試合7打数7安打の新記録。

 

1952年(昭和27年)

パ・リーグ会長に小原英一氏就任。

 

1958年(昭和33年)

森重雄大洋球団社長、監督に就任。

 

1960年(昭和35年)

巨人・水原茂監督が辞任。後任に川上哲治ヘッドコーチが昇格。

 

1973年(昭和48年)

日拓ホームが日本ハム株式会社へ球団譲渡

 

1991年(平成3年)

ロッテの新球団名が「千葉ロッテマリーンズ」に決定。

11月20日

1934年(昭和9年)

全日本の先発・沢村栄治投手は大リーグ選抜を相手に、ゲーリッグの本塁打1本に抑える

好投を見せた。

 

1959年(昭和34年)

三原修氏(西鉄),大洋監督に就任。翌1960年に早くもリーグ制覇、日本シリーズ優勝。

 

1974年(昭和49年)

 巨人を9年連続日本一に導いた指揮官・川上哲治監督が、引退。

 

1985年(昭和60年)

新人選手選択(ドラフト)会議。注目のPL学園・清原和博選手は6球団の重複指名後、

西武。巨人は同じPL学園の桑田真澄投手を指名。

 

2002年(平成14年)

12球団監督会議。ストライクゾーン、試合のスピードアップ、ドラフト、フリーエージ

ェント(FA)について議論を交わす。

参考資料:「日本プロ野球60年史」「日本プロ野球70年史」「ダイアリー日本プロ野球史」(2005年版)

   <(株)ベースボール・マガジン社 発行>