日本プロ野球史

■ 11月21日〜30日

11月21日

1946年(昭和21年)

日本野球連盟選手会結成。会長・藤本定義(パシフィック)、副会長・若林忠志(阪

神)と中島治康(巨人)。

 

1965年(昭和40年)

サンケイ監督に飯田徳治コーチが就任。

 

1974年(昭和49年)

巨人は前日、辞任を発表した川上哲治監督の後任として、同年現役を引退した長嶋茂雄

氏の就任を発表。同時に背番号3を永久欠番。

 

1978年(昭和53年)

巨人が江川卓・作新学院職員と選手契約を締結したと発表。

 

1998年(平成10年)

アジア大会出場のアマチュア全日本代表チームの岡山・倉敷での合宿で、プロ野球現役

選手が指導。

11月22日

1950年(昭和25年)

オドウルとマッカートのバッテリー、打者・ディマジオの始球式で初の日本シリーズ、

毎日-松竹戦開始。

 

1988年(昭和63年)

西武・東尾修投手が引退。

 

1950(昭和25年)

1回日本シリーズ第1戦に、毎日は40歳の若林忠志投手を先発させ、延長12回完投勝利

を飾った。

11月23日

1938年(昭和13年)

2回東西対抗戦。

 

1945年(昭和20年)

神宮球場で復活第2回の東西対抗試合を挙行。東軍が13-9で勝つ。

 

1945年(昭和20年)

戦後初のプロ野球試合、東西対抗戦が神宮球場で挙行。プロが神宮を使用した初の試合

だった。

11月24日

1945年(昭和20年)

群馬・桐生の新川球場で東西対抗試合第2戦。西軍が14-9で雪辱。外野席後方に木材が

あり、試合中に馬車が出入りした。

 

1959年(昭和34年)

西鉄監督に川﨑徳次コーチが昇格。

 

1996年(平成8年)

西武の清原和博選手がFAで巨人へ移籍。

 

1945年(昭和20年)

前日に続き、桐生新川球場で東西対抗戦。

11月25日

1947年(昭和22年)

創立1年目の国民リーグが閉幕。翌年226日に解散したので、この日が最終日となった。

 

1957年(昭和32年)

大阪(阪神)監督に田中義雄氏が就任。藤村富美男前監督は現役復帰。

 

1965年(昭和 40年)

広島監督に長谷川良平代理監督が昇格。

 

1967年(昭和42年)

東映・水原茂監督が退団、後任に大下弘新監督。

 

1989年(平成元年)

ドラフト会議で新日鉄堺の野茂英雄投手が8球団から指名を受け、抽選で近鉄入り。

11月26日

1938年(昭和13年)

タイガース-巨人の選手権決定第1戦、審判の判定に不服の巨人・三原脩選手が試合後バ

ットを持って本部席まで抗議に行き罰金処分。退団へ。

 

1949年(昭和24年)

各球団代表者会議で日本野球連盟の解体決議。昭和25年からセントラル・リーグと太平

洋野球連盟(パシフィック)の2リーグ制を発表。毎日、近鉄、西鉄の加盟を承認。

 

1973年(昭和48年)

ヤクルトアトムズを「ヤクルトスワローズ」に改称。荒川博監督就任。

 

1996年(平成8年)

巨人は落合博満選手の退団を発表。129日に日本ハムに入団。

11月27日

1993年(平成5年)

パ・リーグ理事会は、延長戦は時間に関わりなく12回まで行うことを決定した。

11月28日

  

1960年(昭和35年)

毎日新聞社がプロ野球経営から手を引き、大海オリオンズの経営権一切を永田雅一氏が

引き継ぐ。

 

1974年(昭和49年)

パ・リーグオーナー懇談会は、1975年から2年間を試行期間とする指名打者制採用を決定。

11月29日

1947年(昭和22年)

連盟と選手会で野球協約の内容に合意、締結。

 

1949年(昭和24年)

後楽園の大陽-大映、巨人-阪急戦をもって、1リーグ制最後の公式戦が終了した。

 

1993年(平成5年)

フリーエージェント(FA)の阪神・松永浩美選手がダイエー入り。FAでの移籍第1号。

11月30日

1937年(昭和12年)

秋季リーグ戦終了。タイガースが3991分で優勝。

 

1950年(昭和25年)

パ・リーグ会長に福島慎太郎氏が就任。

 

1969年(昭和44年)

通算400勝を達成した金田正一投手(国鉄-巨人)が現役引退を発表する。

参考資料:「日本プロ野球60年史」「日本プロ野球70年史」「ダイアリー日本プロ野球史」(2005年版)

   <(株)ベースボール・マガジン社 発行>