日本プロ野球史

■ 2月1日〜10日

2月1日

 1946(昭和21)

「産業」が「中部日本ドラゴンズ」と改称。

 

1991(平成3)

湾岸戦争の影響を受け、西武とヤクルトが海外キャンプの中止を決定した。

 

1998(昭和10)

パ・リーグの記録員が労働組合を結成。

 

2000(平成12)

全球団がキャンプイン。アマ五輪候補48人が4人ずつ分散して12球団のキャンプに参加

する。横浜はこの年からファームのチーム名を「湘南シーレックス」と変え、独立採算

球団として活動開始。

 

2001(平成13)

12球団が揃ってキャンプインする。全球団が国内で行うのは24年ぶり。

 

2002(平成14)

全球団がキャンプイン。アマの全日本野球代表候補選手48人が各球団に4人ずつ分散して

参加。アマ指導者12人にも各球団に一人ずつ参加。

2月2日

1954(昭和29)

「高橋ユニオンズ」が誕生、パ・リーグは8球団制になる。

 

1955(昭和30)

巨人が戦後初の海外遠征で、中南米7ヵ国転戦に出発。3月16日に帰国した。

 

2004(平成16)

マリナーズを自由契約になった佐々木主浩投手の横浜復帰が決まる。

2月3日

1946(昭和21)

「朝日」が「太平パシフィック」と改称。

 

1948(昭和23)

大映は東急との合併球団「急映フライヤーズ」に小鶴、金山、三村ら8選手を預ける。

 

1971(昭和46)

大浜信泉氏コミッショナーに就任。

 

2004(平成16)

横浜がマリナーズを退団した佐々木主浩投手の入団を発表。99年以来、5年ぶりの復帰に

なる。

2月4日

1938(昭和13)

鈴木龍二氏が日本職業野球連盟理事長に就任。

 

2004(平成16)

近鉄は球団名の命名権の発表が球界から総反発されたので、売却する方針を白紙撤回

した。

2月5日

1936(昭和11)

日本職業野球連盟創立総会。

 

1937年(昭和12年)

「イーグルス」が日本職業野球連盟に加盟、リーグ全8球団となる。日本職業野球連盟理

事長に富樫與一氏、副理事に鈴木龍二氏が就任。

 

1959(昭和34)

パ・リーグは総裁輪番制代わる選任会長制をしき、初代会長に中沢不二雄氏が就任した。

 

1997(平成9)

日本野球規則委員会は野球規則のストライクゾーンの規定を「ひざ頭の上部のラインを

下限とする」から「ひざ頭下部のラインを下限とする」に変更するのを発表。

 

2004(平成16)

近鉄が球団名売却案を球界の強い反発で撤回する。

2月6日

1984(昭和59)

監督として巨人、西鉄、大洋の3球団を優勝に導いた知将・三原脩氏が死去した。

2月7日

1973(昭和48)

東映フライヤーズ、日拓ホーム株式会社へ球団を譲渡。

 

1979(昭和54)

衆議院予算委員会で、社会党議員が江川問題について大平正芳首相と内藤首相に質問

した。

2月8日

1951(昭和26)

川上哲治(巨人)4選手がSFシールズのモデスト・キャンプ参加するため渡米した。

 

1979(昭和54)

金子鋭コミッショナーが辞意表明。

2月9日

1936(昭和11)

2次アメリカ遠征に向かう巨人の壮行試合として名古屋・鳴海球場で3日間、巨人-金

鯱戦。日本初のプロ・チーム同士の試合。

 

1963(昭和38)

阪神、レークランドのデトロイト・タイガースのキャンプ参加。

 

2002(平成14)

ヤクルトの石井一久投手のポスティングシステムによるドジャース入団が正式に決定

した。

2月10日

1948(昭和23)

日本野球審判部は平均1万円の賃金アップなどを要求しストも辞さなかったが、円満に解

決した。

 

1949(昭和24)

大陽・本堂保次選手の大阪復帰をめぐり1年間の出場停止処分(3ヵ月で解除)

参考資料:「日本プロ野球60年史」「日本プロ野球70年史」「ダイアリー日本プロ野球史」(2005年版)

   <(株)ベースボール・マガジン社 発行>