日本プロ野球史
■ 2月11日〜20日
2月11日
1951年(昭和26年)
パ・リーグの選抜チームが戦後初の海外遠征のため、ハワイへ向け出発した。
1964年(昭和39年)
国鉄が神宮球場をホームグラウンドとすることを実行委員会で承認。
2月12日
1997年(平成9年)
日本野球機構コミッショナー事務局は、プロ野球のシンボルマーク(NPB)を発表する。
2月13日
1943年(昭和18年)
連盟から選手に「皇国に挺身し、戦う野球戦士として職域の誠を尽すべし」という「戦
士(選手)実施要項」を通達。
1956年(昭和31年)
大阪と阪急で争われていた米田哲也投手の二重契約問題は、大阪の契約無効を裁定。
1995年(平成7年)
大リーグ入りを目指していた野茂英雄投手(近鉄)がドジャースと入団契約する。背番号
は「16」。
2月14日
1935年(昭和10年)
大日本東京野球倶楽部(後の巨人)が第1回の渡米遠征に出発。7月16日に帰国した。
1936年(昭和11年)
巨人、アメリカへ出発。
1995年(平成7年)
近鉄を任意引退した野茂英雄投手がドジャースとマイナーリーグ契約を結ぶ(現地13日)。
2月15日
1936年(昭和11年)
「大日本野球連盟東京協会・大東京軍」創立。関西初のプロ球団同士の試合が、宝塚に
おいて金鯱とセネタースとの間で行われた。
1953年(昭和28年)
巨人、サンタマリアのスプリング・キャンプに参加のため渡米。
2月16日
1994年(平成6年)
外国人選手枠が1チーム3人以内となる。
1995年(平成7年)
阪神球団は甲子園球場で予定されていたオープン戦5試合と西宮球場の1試合を他球場に
移して開催すると発表。阪神・淡路大震災で甲子園のガス、水道施設に被害が出たこ
と、球場周辺の住民事情を考慮してのもの。
1998年(平成10年)
セ・リーグは次期会長に前フィンランド大使の高原須美子氏の就任を決める。
2003年(平成15年)
すでに中日入りが発表されていたマーリンズのケビン・ミラー選手が難色を示し、中日
も契約断念を表明した。
2月17日
1965年(昭和40年)
フリック米コミッショナーが、日本人大リーガー第1号の村上雅則投手が、SFジャイアン
ツと仮契約しながら南海とも契約した件につき「問題解決まで日米交友関係を絶つ」と
表明。
1978年(昭和53年)
ヤクルトは、米国アリゾナ州ユマで球団初の海外キャンプを行うため出発。この年、初
優勝した。
2月18日
1943年(昭和18年)
巨人監督に中島治康氏が就任。
1946年(昭和21年)
旧朝日の坪内道則選手、内藤幸三投手らが中心になり「金星ゴールドスター」結成。
2003年(平成15年)
パ・リーグ理事会で04年からのプレーオフ制度の導入を決定。公式戦は135試合に。
2月19日
2003年(平成15年)
いったんロッテと契約した元横浜のボビー・ローズ選手が、ストレス性動悸を理由に退
団を表明した。
2月20日
1986年(昭和61年)
西武を自由契約になった江夏豊投手がこの日、ブリュワーズの入団テストを受けるため
キャンプ入りした。