日本プロ野球史
■ 4月1日〜10日
4月1日
4月2日
1949年(昭和24年)
ペナントレース開幕。
1955年(昭和30年)
セ・リーグ公式戦開幕。
1960年(昭和35年)
セ・リーグ公式戦開幕。
1977年(昭和52年)
セ・パ両リーグ開幕。巨人・王貞治選手、阪神・掛布雅之選手が満塁ホーマーを放つ。
開幕日2本の満塁アーチは史上初。
1995年(平成7年)
近鉄のパウエル投手は日本ハム戦(藤井寺)で、同チーム外国人投手として32年ぶりに勝
利投手になる。
1999年(平成11年)
セ・リーグ開幕。巨人はガルべス投手が球団史上初の外国人開幕戦先発。
2004年(平成16年)
セ・リーグ開幕。札幌ドームで北海道日本ハムが西武と新本拠地第1戦を行い、5対1で
勝利。中日は広島との開幕戦に、ヤクルトから移籍後、3年間一度も登板していない川崎
憲次郎投手を先発させる。
4月3日
1944年(昭和19年)
春季戦開幕。全6球団のうち支配下選手74人。試合は土曜、日曜のみで3回総当たり。「名古屋」がチーム名を「産業」と改称。
1947年(昭和22年)
後楽園球場で行われた読売旗争奪戦大会に初の女子アナウンサーが登場。
1954年(昭和29年)
セ・リーグ開幕。福井コミッショナー、任期満了に伴い辞任。井上登、内村祐之、宮沢
俊義の3氏がコミッショナーの代行機関である第三者委員に。
1981年(昭和56年)
戦没野球人の霊を慰めるため野球殿堂脇に「鎮魂の碑」が建立された。
1994年(平成6年)
日本プロ野球OBクラブ(公益社団法人全国野球振興会の前身)が発足。初代会長に川上
哲治氏。
1999年(平成11年)
パ・リーグ開幕。日本ハムの岩本ツトム投手は近鉄戦(東京ドーム)で2年連続の完封勝
利。パ・リーグでは61、62年の西鉄の稲尾和久投手以来37年ぶりで2人目の快挙。
4月4日
1958年(昭和33年)
両リーグとも26試合総当たりでペナントレースに突入。
1997年(平成9年)
セ・リーグ開幕。97年より各球団5試合増え、総当たり135試合。
1998年(平成10年)
パ・リーグ開幕。日本ハムの岩本勉投手は西武戦(西武ドーム)で球団史上初の開幕戦完
封勝利。
2004年(平成16年)
阪神は巨人に8対3で勝ち、セ・リーグになって初めて開幕からの巨人戦3連勝を達成する。
4月5日
1951年(昭和26年)
プロ野球コミッショナーに福井盛太氏が就任。
1952年(昭和27年)
中日球場の再建なる。
1958年(昭和33年)
巨人の新人・長嶋茂雄選手がプロ野球デビュー。国鉄の金田正一投手に19球、4三振の結
果に終わる。
1966年(昭和41年)
東京と大阪で新人研修講座。
1990年(平成2年)
セ・リーグが「引き分け再試合制」でのリーグ戦開幕。
1996年(平成8年)
セ・リーグ開幕。巨人の斎藤雅樹投手は阪神戦(東京ドーム)で3年連続開幕戦完封勝利の
プロ野球新記録。
1997年(平成9年)
パ・リーグ開幕。セ同様に各球団5試合の増加。
4月6日
1940年(昭和15年)
阪急は南海戦(西宮)に32対2で大勝したが、これはいまだに破られない最多得点記録。
1963年(昭和38年)
パ・リーグ公式戦開幕。
1985年(昭和60年)
パ・リーグ開幕。西武・石毛宏典選手、開幕戦先頭打者2連続打席本塁打の史上初記録。
4月7日
1962年(昭和37年)
両リーグ同時開幕。駒沢球場が東京オリンピックの準備で使用不能となって東映は神宮
で開幕する。
1982年(昭和57年)
ナゴヤ球場の中日対阪神戦が同一カード1000試合を記録。プロ野球初。
1983年(昭和58年)
パ・リーグ福島慎太郎会長代行が正式に5代目会長に就任。
1990年(平成2年)
両リーグ開幕。東京ドームの巨人-ヤクルト戦で篠塚利夫選手の右翼ポール際の微妙な
当たりを“ホームラン”と判定。話題となる。
1994年(平成6年)
オリックスは、鈴木一朗外野手を「イチロー」、佐藤和弘外野手を「パンチ」と登録、
リーグも了承、公示。
1995年(平成7年)
セ・リーグ開幕。巨人の斎藤雅樹投手はヤクルト戦(東京ドーム)で、セ・リーグでは初の
2年連続開幕戦完封勝利。
1999年(平成11年)
西武の“怪物”新人・松坂大輔投手が日本ハム戦(東京ドーム)に先発でプロ入り初登板
し、8回まで2失点で勝利投手になった。高卒ルーキーが初登板初先発で勝利投手にな
ったのは97年5月31日の日本ハムの矢野諭投手以来2年ぶり。
2000年(平成12年)
中日のバンチ投手は横浜戦(横浜)でノーヒット・ノーランを達成。セ・リーグ33度目、
プロ野球79度目。
4月8日
1961年(昭和36年)
後楽園球場で、昼は巨人-中日、夜は大毎-東映と、初の同一球場両リーグペナントレ
ース開幕となった。
1980年(昭和55年)
日生球場の対近鉄戦で、ロッテ・山内一弘監督が合格印のないボールを使っていると
抗議。提訴を条件に続行。
1989年(平成元年)
両リーグ開幕。日本ハム・中島輝士選手が新人開幕戦ホームラン。
4月9日
1943年(昭和18年)
試合中に警戒警報が発令された場合の「選手の行動」要綱通達。
1994年(平成6年)
両リーグ同時開幕。西武の伊東勤選手が、近鉄戦で9回裏一死満塁の場面で、開幕戦初の
サヨナラ満塁本塁打を放った。
4月10日
1961年(昭和36年)
新10年選手制度決まる。
1994年(平成6年)
近鉄の赤堀元之投手が2日連続の敗戦投手になったが、開幕1、2戦の連続黒星は54年ぶり
だった。