日本プロ野球史
1940年(昭和15年)
戦時体制に協力、英語の使用禁止と引き分け試合廃止を決定。
1942年(昭和17年)
「黒鷲」が「大和」に改称。
1950年(昭和25年)
大阪(難波)スタジアムが開場。
1999年(平成11年)
横浜のローズ選手が広島戦(横浜)で135打点目をマーク。
85年のバース選手(阪神)の134を更新する外国人選手の新記録。
2000年(平成12年)
ナゴヤドームの中日-広島戦は東海地区を襲った記録的な豪雨でグランドに下水1400トンが逆流したため、中止。
1972年(昭和47年)
柴田勲選手(巨人)、後楽園の阪神戦で通算400盗塁。
1980年(昭和55年)
阪急・福本豊選手、プロ野球史上初の800盗塁を記録。
1981年(昭和56年)
日本ハム・間柴氏茂有投手、西宮球場での対阪急11回戦に完投し、開幕以来14連勝のプロ野球新記録。
1949年(昭和24年)
近畿日本鉄道が新球団加盟申請。
1968年(昭和43年)
外木場義郎投手(広島)、広島での大洋戦で史上10人目の完全試合を達成。
1988年(昭和63年)
阪神・掛布雅之選手が引退。
南海球団がダイエーに球団譲渡。
本拠地を福岡にすると発表。
1994年(平成6年)
イチローが192本目のヒット。
史上最多安打。
1999年(平成11年)
巨人の上原浩治投手は中日戦(ナゴヤドーム)でプロ入り初完封で14連勝。
66年の堀内恒夫投手(巨人)の13連勝を更新する新人記録。
2003年(平成15年)
巨人のぺタジーニ選手はヤクルト戦(東京ドーム)の4回に右中間へ、プロ野球史上8万号の記念アーチを放つ。
1940年(昭和15年)
「秋季リーグ戦」を「秋季連盟戦」として開幕。
1984年(昭和59年)
西武・東尾修投手が通算200勝。
2003年(平成15年)
阪神は広島戦(甲子園)3対2で勝ちM1とした後、ヤクルトが横浜に負けたため、18年ぶりの優勝が決定。
2004年(平成16年)
インターネット上の仮想商店街を運営している「楽天」がプロ野球に新規加入したいと表明。
2004年(平成16年)
巨人の阿部慎之助選手は、広島戦で30号を放つ。
捕手で30号はプロ野球史上6人目。
最終的に30本。
1995年(平成7年)
日本ハム-ダイエー戦(東京ドーム)で1回に、日本ハムのデューシー選手とダイエーのライマー選手が乱闘し、両者退場処分に。
1996年(平成8年)
西武球場の西武-ダイエー戦の終了後、左翼席のダイエーファンが王貞治監督の采配に抗議して、発煙筒を投げ込み、約100人が居座るが、1時間10分後に散会。
1997年(平成9年)
福岡ドーム、西武-ダイエー戦は台風のため中止。
ドーム球場での中止は、4度目。
2000年(平成12年)
シドニー五輪の野球が始まる。
日本は予選リーグ4位で準決勝に進出するが、3位決定戦で韓国に敗れ4位。
2004年(平成16年)
NPBと選手会の交渉は決裂し、選手会は18、19日の計12試合でスト決行を決定。
1967年(昭和42年)
若生忠男投手(西鉄)、西宮の阪急戦でノーヒット・ノーラン試合を記録。
1968年(昭和43年)
阪神の江夏豊投手は巨人戦の7回、王貞治選手から三振を奪い354のシーズン最多奪三振を記録。
1987年(昭和62年)
中日・大島康徳が通算16本目の代打本塁打。
セ・リーグ新記録。
2003年(平成15年)
ダイエーの松中信彦選手は近鉄戦(大阪ドーム)で8打点を挙げ年間103打点。
バルデス選手も1打点で100打点となる。
城島健司、井口資仁も両選手100打点に達しており、同一チームで年間4人の100打点はプロ野球新。
1968年(昭和43年)
甲子園の阪神-巨人戦で阪神バッキー投手と巨人荒川博コーチが大乱闘。
1994年(平成6年)
近鉄・中村紀洋選手がサイクルヒット。
2004年(平成16年)
この日と19日の2日間、プロ野球は史上初のストライキに入る。
試合に代わり、各地で選手会によるサイン会などのイベントが催される。
1949年(昭和24年)
西日本新聞社が新球団加盟申請。
1956年(昭和31年)
宮地惟友投手(国鉄)、金沢での広島戦で史上3人目の完全試合達成。
1965年(昭和40年)
巨人の王貞治選手が870試合で、通算200号本塁打をスピード達成。
1995年(平成7年)
オリックスは西武戦(西武)に8対2で勝ち、阪急時代の84年以来、11年ぶりの優勝。
1972年(昭和47年)
王貞治選手(巨人)、阪神23回戦で7試合連続本塁打。
1982年(昭和57年)
日本ハム・江夏豊投手、26個目のセーブを記録、自己の持つシーズン最多セーブのパ記録更新。
1994年(平成6年)
イチロー選手が球史初の一シーズン200本安打を達成。
同日、広島・北別府学投手が引退表明。
2004年(平成16年)
日本ハムのSHINJO選手はダイエー戦で9回裏二死満塁で本塁打を打ったが、前の走者を抜いて単打に。