日本プロ野球史
1977年(昭和52年)
近鉄・鈴木啓示投手は、神宮球場でのロッテ戦で47無四球試合のパ・リーグ新記録。
1993年(平成5年)
ロッテ・南渕時高選手がダイエー戦で14打席連続出塁の日本新。
2002年(平成14年)
巨人の新人・真田裕貴投手が対中日戦で6回まで投げ勝利。巨人で1986年の桑田真澄投手以来の高卒新人勝利投手。
1962年(昭和37年)
阪神・小山正明投手が、5試合連続完封勝利のセ・リーグ新記録。
1999年(平成11年)
ダイエー・秋山幸二選手が対オリックス戦で300盗塁を達成。400本塁打、300盗塁は史上2人目。
1962年(昭和37年)
支配下選手50人の制限が60人になる。翌年以降の入団選手に「研修制度」の施行を決定。未成年者は100試合、成年者は50試合経過後に出場が許されることになる。
1965年(昭和40年)
広島の白石勝巳監督が休養。代理に長谷川良平コーチ。
1976年(昭和51年)
巨人・王貞治選手は、川﨑球場の対大洋戦の8回、鵜沢投手から通算700号本塁打。
1957年(昭和32年)
広島市営市民球場が開場。
1964年(昭和39年)
西鉄の西代表、プロ入り志望の選手を一括して球団を決定する「新人プール方式」を提案。
2001年(平成13年)
この年の球宴で、巨人・松井秀樹選手と近鉄・中村紀洋選手は、3試合連続本塁打の球宴新記録を樹立。
1954年(昭和29年)
甲子園の大阪-中日戦で大紛争。退場処分の藤村富美男選手(大阪)は、1014試合で連続出場記録がストップになった。
1965年(昭和40年)
巨人、通算2000勝。
1940年(昭和15年)
「満州リーグ戦」のため全球団が神戸港から出発。
1946年(昭和21年)
阪神-太平パシフィック戦は試合時間が55分。これはいまだに破られない最短試合時間記録。
1985年(昭和60年)
阪急・福本豊選手が西宮球場の日本ハム戦で通算107本目の三塁打。プロ野球新記録。
1952年(昭和27年)
日没中止の措置をめぐってファンがグラウンドに乱入した平和台事件の責任をとり、毎日・湯浅禎夫監督が辞任。別当薫コーチがプレーイング・マネジャーに昇格。
1966年(昭和41年)
巨人の新人・堀内恒夫投手が、対阪神戦に勝利し、開幕以来13連勝の日本タイ記録を達成。
2003年(平成15年)
ダイエーは対オリックス戦に26対7で大勝するが、1試合32安打のプロ野球新をはじめ数々の記録を達成。
1947年(昭和22年)
大洋・森下重好選手は、甲子園球場での対巨人戦で戦後のプロ野球初の1試合3本塁打をマーク。
1980年(昭和55年)
日本ハム・大宮龍男選手が対南海戦でサイクルヒット。この日の三塁打、本塁打が年間に記録した唯一のものだった。
1964年(昭和39年)
国鉄の金田正一投手が対大洋戦で勝利投手となり、14年連続20勝の大記録。
1994年(平成6年)
近鉄・赤堀元之投手が18試合連続セーブポイントの日本記録。
1970年(昭和45年)
南海・広瀬叔功選手、日生球場の対近鉄戦で通算479盗塁の日本記録を達成。
1977年(昭和52年)
近鉄・米田哲也投手は、日生球場での対西武戦で945試合登板のプロ野球新記録。
1979年(昭和54年)
広島・高橋慶彦選手、広島市民球場での対巨人戦の1回、新浦壽夫投手から安打、33試合連続安打の新記録。