【訃報】当振興会理事長 森徹氏の逝去について

 当振興会の森徹(もり・とおる)理事長が、26日(木)午前852分、都内の病院にて逝去しました。享年78歳。故人の冥福をお祈りし、ここに謹んでお知らせ致します。

 

 

 森氏は、1935(昭和10)年、旧満州生まれ。早大学院高-早大を経て1958(昭和33)年、中日に入団。新人だった同年から3年連続でベストナインに選出。入団2年目に中日の四番打者として本塁打、打点の2冠王(球団史上初)。1962(昭和37年に大洋(現・横浜DeNA)-1966(昭和41)年に東京(現・千葉ロッテ)に移籍し、1968(昭和43)年シーズンで現役引退。

  現役引退後の1969(昭和44)年に、米国の富豪が米国2大リーグに次ぐ、第3のリーグを目指して、米国と中南米の4か国に日本を加えたチームでグローバル・リーグを設立、これに日本から東京ドラゴンズを結成し、監督として若手を率いてかの地を転戦したことも。その後に野球解説者として活動ののち、会社経営者として実業の世界に活躍の場を持ったことも。

 

 当振興会には、前身の日本プロ野球OBクラブ発足の1994(平成6)年から会員で、2001(平成13)年3月に理事に就任。2005(平成17)年4月から常務理事。2007(平成19)年4月から4期にわたり副理事長を務めたのち、2011(平成23)年5月から理事長。

 

 とくに指導者の資質向上に力を注ぎ、当会の指導者養成・認定制度事業の拡充に努め、これがひいてはアマ・プロ交流の促進、野球の振興につながると唱えてきました。

 また、学生時代は柔道家としても名を轟かせ、柔道六段として柔道の指導も行っていました。そのほか合気道、空手いずれも六段の段位を持つ格闘家。柔道の指導も行うなど、格闘界とも広く交流があり、昭和の名プロレスラー・力道山との深い交友は有名。財団法人日本プロスポーツ協会の理事も務めるなど、プロスポーツ全般の振興活動にも力を注ぎました。

 

 

 アマ・プロの長い交流のない時代のはじまりに中日の選手として在籍し、時を経ること半世紀以上、プロ野球出身者のアマチュア資格回復の実現を長年待ち続け、新たな制度に基づいて、プロ野球OBによる学生野球指導が、いよいよこの春から各地で広がりを見せようとしていた矢先の他界でした。「プロ野球OBが縁の下の力持ちとなって野球界を下支えしなければならない」(森氏)。この思いが体を突き動かしてきた78年の生涯でした。

文中画像・上 中日ドラゴンズの主砲として活躍した時代の森徹選手

<画像提供=㈱ベースボール・マガジン社>

 

同・下 20125月、福島県での第18回ダイワハウス全国少年少女野球教室で指導する森理事長(当時)